1988年2月19日に、愛知県弥富町の海南病院で生まれる。その後、佐屋町、平和町と北上していき、最終的には稲沢市の某UR都市機構住宅に落ち着く。
根っからの電気もの好きで、子どものころから電気コードやオーディオコード配線をして楽しんでいた。さらにはビデオテープやカセットテープの編集も幼少の頃に覚え
た。が、もちろん子供らしくない子供として認識されていたのは言うまでもない。
小学4年生のとき、学校に導入されたパソコンに、初めて触れる。5年生になると、オヤジが購入してきた高性能ワープロを横取りし、趣味で画像編集や文章打ち込みなどを行う。
パソコンの基本をムック本で学びつつ、中学校に上がる。部活はもちろん、パソコン部。ここで初めて、趣味が競合する、いわゆるパソコンライバルが現れた。
今となっては親友のTaKaさん。最初は争うように対立していた二人も、一年ほどしたら蟠りが解け、共同でプログラミングなどを始める。最初に触ったのはperlで、これもTaKaさんに多くを教えて
いただいた。
半年後ぐらい、これもまたTaKaさんの薦めでDelphiを始める。HSPでは限界があったため、Delphiの作りやすさに驚く。それからどん欲にソフトを開発しては、HP(現:http://limetarte.net/)に載せ始めた。
高校に入ってからは入学後半年でシスアドを取得する快挙を実現。更に基本情報、ソフトウェア開発技術者ととんとん拍子に資格を取得。結果、名城大学への入学が決まった。
だが、大学に入ってからというもの、勉強の難しさと自動車学校との両立、通学時間の長さなど、過度の負担がのし掛かり、うつ病を発症。二年の休学期間のあと、
自主退学。その後は療養に入り、2011年には、うつ病や不眠症も改善傾向に。
2011年夏に「食道裂孔ヘルニアによる逆流性食道炎 Grade
N」という長ったらしい診断名の疾病を発病。玉突き的にうつ病悪化からの躁うつ病(双極性障害II型)も発症。逆に、生活習慣を改善したため、肥満やら高血圧症やら高脂血症やらが全部片付き、思わぬ形で脂肪リスクならぬ死亡リスクが激減した。そんな訳で、今現在は内科とメンタル科を掛け持ちしつつ、社会復帰の前に、まずは原状復帰を目指している最中。
2012年9月現在、ラベプラゾールNaとリチウム塩を主力に投薬治療を受けつつ、プラス、臨床心理カウンセリングを受けてぼちぼちコンディションを整えながら、相変わらずフリーランスでプログラマーをやっている。
2019年、まさかのADHD&ASDが発覚。言われてみれば生きづらかった上に、今までの困難や不可解な言動が障害由来だったことに気付く。
コロナ禍にまぎれて荒れたり落ち着いたりしながら自分自身を見つめ直した結果、2021年、10年前のやり直しと称して放送大学に入学。眼精疲労とレポートに追われる日々を送っている。
内科とメンタル科通院、カウンセリングはなんだかんだ無理なく続いている。フリーランスプログラマーも変わらず継続中。
2023年頃からはVRChat方面に何かを見出し、雑談周りでねとらじの経験を活かして交流を楽しむ傍ら、ワールド・キャラクターモデリングや学問的研究(情報学・心理学・教育学)を通じたちょっと真面目な活動もしている。
趣味でイラストや小説執筆、3DCG、AI設計、Webドラマ/ADVゲーム企画制作も嗜んだりする。
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